2012年11月26日月曜日

ポルトガル、いま昔(3)

ロッシオ広場へ向かうデモ隊
私が滞在中、EU財政難のスペイン、イタリアと連携して、ポルトガル全土でストが起きました。公共の交通機関がストップしてしまい、お陰で足止めをくらい退屈な一日になってしまいました。•••とは、観光客の視点で、ポルトガル国民にとっては深刻な問題です。後からニュースで場所によっては流血騒ぎがあったと聞きました。10年前のリスボンにはなかった出来事です。

ヨーロッパは(というか世界中?)、今混沌とした状況にありますが、今回ポルトガルに来て、10年前と比べ世界も変わったけど自分も変わった事を思い知らされました。以前来た時は、(珍しかったと言うの事もあるのでしょうが)ポルトガルの文化には肯定的でした。1930年代のサラザールの独裁政権下からポルトガルと言えば3F(Fado, Fátima, Futball)と言われ、私もその3Fに興味があり、ポルトガルのリスボンから上、北部の主要観光地は全て訪れた事があるのです。あ、教会の壁を飾る金だけは、インディオを殺して植民地から略奪して来たもので、神様はそんなもの必要ないぞ、と反感は覚えていましたが。
ところが、今回の旅でポルトガルの印象はがらっと変わってしまいました。イギリスでは、駅やレストラン、パブ、職場など公共の場所ではタバコは吸えません。ところが、ポルトガルは至る所で老若男女タバコを吸う人がいて気になる。(その煙で喉がやられてしまいました。)更に、今、私は、ワインも殆ど飲まなくなり、シーフードは食べるけどお肉は食べない半ベジタリアンのような生活をしているので、どちらかというと新鮮な野菜を中心に食べていた方が幸せ。でも、一日のうち一食はベジと考えていても、伝統的なレストランでベジ料理は殆ど無し。カフェだとチーズサンドイッチが殆ど。で、結局、伝統的なレストランで食事していのは最初の2、3日だけで、その後はモダンなカフェとかで、ヘルシーなサラダとか、野菜スープばかり食べる羽目に。(その辺はイギリスの方が、ベジが多いので選択肢も多いです。)何故かとてもポルトガルが後進国に思えて来てしまったのです(汗)。

昔は喜んで訪れていた古い建物を見てもちっとも新鮮味がない。教会など入るとだいたいエナジーが重い。(そりゃあ、信者が懺悔とか悩みとかの念を持ち込むので重くなるでしょうね。)で、明るいエナジーをつかむ感覚で写真を撮ると(天使の)オーブが写ったりする。と、昔とは合わせる次元がまったく変わってしまったんですね。
ちょっと話はそれますが、そんなエナジーの重い教会ばかりの中で、一カ所だけ不思議な場所があったので紹介します。ポルトガル南東部、世界遺産として登録されているエヴォラという町にある人骨で出来たチャペルです。16世紀に骨を埋葬する場所が無くなり、解決方法として壁に骨を埋め込むことになったそうですが、さぞかし、おろどおどろしいエナジーだろうと思って入ったら、とんでもない!逆で、こんなに浄化がされている場所はないというくらい、クリーン!どうやら骨の持ち主のスピリットは全て昇天しているようで•••。ただ、一カ所、ちょっと動きがあったのでそこの写真を撮ったら、案の定オーブが写りました。(何枚か写真を撮りましたが、オーブが写ったのはこの場所だけです。)どうやらこのチャペルのお世話をしていた修道士さんのスピリットのようです。もうお役目が終わっているので、光の下に還してあげました。(そうです、以前はこんな事、怖いと思ってしていませんでした(笑))
(真ん中の床の近くにオーブが写っています。)

そして、自分が一番変わったと感じたのは、10年前だったら、絶対ぶちっと切れているような状況をスルー出来るようになった事。滞在中、観光案内所のおにいちゃんの案内がいい加減で、一時間に一本しかないバスを逃した時とか、地下鉄の駅員に「始発の時間は解らない。でも6時半から駅は開いているわよ」と言われたと時か、泊まったホテルの下がアイリッシュ•パブで午前2時近くまで五月蝿く寝れなかった時に、耳栓つけて「ホテルの概要を良くチェックしなかった私が悪い。こりゃあ、今晩は寝るの諦めるしかないな〜」と、おおらかに(?)対応出来た時など、など。ある出来事が起きた時、表面的に見たらネガティブな出来事でも、後で何故その出来事が起きたか、ポジティブな意味が解るようになった事など。バシャールが「外に現れる状況は同じでも、あなたの反応が変われば、あなたがシフトしたかどうか(周波数が変わったかどうか)解る」と言っていたのはこういう事なのかと実感しました。また、どういった環境に住みたいかという点でも、自分にとって好ましくない環境を体験した私は、もうちょっと環境に優しい場所に住みたいと思うようになりました

今回ポルトガルに戻って来たのは、ポルトガルの「いま昔」だけでなく、自分の「いま昔」を体験する為だったような気がします。


2012年11月21日水曜日

ポルトガル、いま昔(2)

リスボン郊外、大西洋に面したカスカイスの港
ポルトガルと言えば、魚介類の豊富さで有名ですね。魚介類のリゾット(Arroz de marisco)は、超美味しい。更に天ぷらの発祥の地と言うだけり、お魚に衣をつけて挙げるお料理も多く、ポルトガル人がスナック感覚で食べている鱈のコロッケ、海老のコロッケなど、日本人の口に絶対合います。私にとっては、イギリスにはないシーフードを食べに来たようなもの。

イギリスの環境に慣れている私が、今回気になったのが、カフェ。イギリスには、いろんなチェーン店があって、個人でやっているお店は押され気味なのに、リスボンのロッシオ地区、お隣のちょっとおしゃれなバイシャ•シアド地区で見かけたのはスターバックスのみ。それぐらい、独自のカフェ文化が根付いていて、チェーン店が入り辛い環境なのかなと思いました。伝統的なカフェには、立ち食い蕎麦屋ならぬ、立ち飲みカフェみたいな所もあり、カウンター越しにウェイターさんに飲み物を注文し、更にお菓子も食べれるという仕組み。

カフェ•オレ(所謂コーヒー牛乳ですね)は、だいたい1〜1.2ユーロ。お菓子も85セント〜1.2ユーロぐらい。物価は安いです。コーヒーは当然、イギリスのコーヒーよりこくがあっておいしい。南欧はコーヒー大国ですから、その辺は外しません。ちなみに、立ち飲み(?)カフェには、簡単なスナックもおいてあり、前出の鱈のコロッケ、海老のコロッケ、ソーセージ入りのパイなども食べれます。

今回良く食べたのがこちら、ポルトガルを代表するお菓子パステル•デ•ナタ。一個1ユーロ。中心に入っているのはカスタード•クリーム。回りのパイ生地がさくさくしてとても香ばしい。(でも、超甘いです!)

そして、日本とポルトガルを繋ぐ代表菓子、カステラの原型となったと言われているのが、こちら。ポン•デ•ロー(pão de lo)。カステラという名前は、スペインのカスティーリャ地方の名称が訛って日本に入って来たようですが、スペインにある似たようなお菓子はカステラとちょっと味が違う。確かに、ポルトガルのケーキの方が、日本のカステラの味に近いようです。ちなみにポルトガルでも、お店によってはザラメを入れる所もあるようです。
(紙の型に包んで焼いています。)
更に町を歩いていると、あの福岡の錦糸卵!が入っているお菓子を見かけました。卵で出来た細い素麺(fios de ovos)がパイ生地に包まれていました。

ポルトガルのお菓子は素朴です。それでも、イギリスのお菓子と比べたら、おいしいと思っていっぱい食べてしまいます(笑)。こんな古き良きカフェ文化が残っている所は、ポルトガルの素敵な所ですね。

2012年11月20日火曜日

ポルトガル、いま昔(1)


一週間ほど、寒いロンドンを離れポルトガルに出かけて来ました。ロンドンからリスボンまでは直行便で2時間半ほどのフライト。年間通して暖かい国なのでイギリス人の間で人気があるのか、飛行機代は夏とそれ程変わらず。確かに気温は日中16度もあり、空港に降り立つと南欧特有の日差しの強さと青空にまず目を奪われます。リスボン市内を歩いていても、光と影とのコントラストがものすごく、日の光の弱いイギリスとはまた違った色彩感覚を楽しめるのも旅の醍醐味。そう言えば、南欧の人達は感情型で、性格も行動もドラマチックな人が多いですよね。こんな環境にいたらそうなるのでは、なんて思ってしまいます。着ているお洋服の色も違いますもんね。

 
私が最後にリスボンを訪れたのは10年前、と、はたと気がついて、時の流れの早さを感じました。10年の間にリスボンの町は変わったのでしょうか。今回の滞在の基点になったのはロッシオ地区。高台の上にあるお城やテージョ川にも近く、地下鉄の駅もあり交通の便も良い地域です。泊まったのはロッシオ広場の隣にあるフィゲイラ広場に面したペンサオン(素取りのホテル)。記憶を辿ると初めてポルトガルを貧乏旅行した20年前にも、この場所に泊まったよう。その頃はバックパッカーの巣窟みたいな感じの安宿だったのですが、今は経営者が変わったのか、とても小綺麗なペンサオンになっていました。なんか、私もホテルもアップグレードしたんだなと感慨深いものがありました(笑)。
 

しかし、古い物が大好きなヨーロッパ。市内を見回すと、昔ながらの建物は変わらず。路面電車も健在。第二次世界大戦中、壊滅的に破壊されたロッテルダム(オランダ)などと違い、中立国だったポルトガルのリスボンは、かなり「レトロ」な建物が多く残っています。(ちょっと危ない感じの建物もありますが。。。)

町を散作していると、10年前の記憶が蘇って来ました。そうそう、南欧は何故か靴屋さんが多く、素敵な靴がいっぱい売っていて、以前ブーツを買ったらデザインは良かったんだけど、寒い国用のブーツじゃなくてイギリスであまり使えなかったなぁ、なんて思い出しました(笑)。

印象はまだまだ古い物(システム)の方が多そうかしら?そう言えば、ホテルでも、まだ全室WiFiが入っていない所があるようで、予約を入れる時は要注意です。
テージョ川の畔にて。


2012年11月3日土曜日

ガイ•フォークス•ナイト

イギリスでハロウィーンの次に来るのがガイ•フォークスのイベントです。
ガイ•フォークスをかたどったお面
ガイ•フォークス(Guy Fawkes)は、英国史上では有名な人物で、当時プロテスタント国家だったイングランドをカトリック国家に戻そうと、カトリック教徒数名と国王暗殺を計画。1605年11月5日、ウェストミンスター議会の中にある上院(貴族院)の地下に、爆薬を仕掛けている所を見つかり逮捕され、翌年1月に国家反逆罪のかどでロンドンで公開処刑されました。

この事件は、火薬陰謀事件(Gun Power Plot)という名で知られ、その後、国家転覆に失敗したガイ•フォークスの姿をかたどった人形を燃やし国家の無事を祝う行事にまで発展しました。ちなみに当時はローマ法王の人形を燃やす人達もいたそうで、いかにプロテスタントがカトリックに対して敵意を持っていたか解ります。

この伝統は今でも引き継がれていて、毎年11月の最初の土曜日は、ガイ•フォークス•ナイト(大かがり火の夜- bon fire night)と呼ばれ、各地でかがり火が焚かれ、花火が打ち上げられます。場所によっては、大掛かりなイベントとなっており、花火と一緒に音楽が演奏されたり、屋台が出たりします。一般の人も、家の庭で花火をあげたりします。でも、プロテスタント対カトリックの血なまぐさい対立は昔ほどありませんのでご安心を。

ところで日本で花火というと夏。ところがイギリスは冬になると花火大会があるので、最初はすごく不思議で違和感がありました。イギリス人によると、夏に花火を打ち上げても、日が長いので夜遅く(11時ぐらい)まで空が明るく、花火を楽しめないというのと、長く暗い冬が始まる時に、景気付けに花火を打ち上げた方が効果的だと言う事らしいです。この辺も日本人とイギリス人の感覚の違う所ですね。

これから冬至まで日がどんどん短くなって行きます。イギリスの寒く暗〜い冬の始まりです。ガイ•フォークス•ナイトの次に大掛かりに花火が上がるのは大晦日(新年)です。