2013年5月18日土曜日

モン•サン•ミッシェル訪問(1)

ハワイで知り合ったカナダ人の女性に、ギリシャへ向かう途中パリに立ち寄るので会わない?と誘われました。全然パリに行く事を考えていなかったので、こんな事がなければ、パリに行く事はないだろうなと思い、今回は彼女と会う事とモン•サン•ミシェルに行く事を目的にパリに向けて出発しました。8年ぶりのフランスです。

パリで友人と落ち合った後、一泊二日でレンタカーして行こうと言う話しだったのですが、友人が時差や気候の変化、パリのペースについて行くのが大変で、ダウンしてしまい、結局、自分たちで運転しなくて楽、という理由で、パリからの日帰りツアーに参加する事になりました。


遠くから見るととてもシュール。不思議な感じがします。
当日は朝7時15分に、ノートルダム寺院の近くにあるツアー会社のオフィスに集合。片道4時間かけての道程になります。途中、サービスエリアでトイレ休憩があるとは言え、小腹がすいた時の為のおやつと飲み物は必須。


モン•サン•ミシェルは、フランスの西海岸、第二次世界大戦のDディ上陸作戦で有名なノルマンディ地方とケルト系の民族の地、ブルターニュ地方との境にあります。もともとケルト民族の聖地だったようですが、8世紀に大天使ミカエルから「この地に聖堂を建てよ」というメッセージを受けた司祭が、礼拝堂を作ったのが始まりです。その後、ベネディクト派(グラストンベリーの僧院もベネディクト派のものです)の修道院になり、巡礼者が集う聖地となりました。


スピ系の間では、大天使ミカエル(男性性)のレイライン上にあると言われていて、イギリスのコーンウォールにあるセント•マイケルズ•マウント、アイルランドにあるスケリグ•マイケルと一直線上に並ぶとか。やっぱりエナジー的には繋がっているんですね。また、ガイドさんの説明によると、スペインの有名なサンチアゴ•デ•コンポステーラの巡礼とも関係しており、お金と時間のある人は、サンチアゴ、お金のない人はモン•サン•ミシェルに行くパターンだったようです。今は巡礼者もバスや自家用車で来るのか、サンチアゴ巡礼のようにレフュジオ(巡礼者用の宿)はないそうです。巡礼地の名残で巡礼のシンボルであるホタテ貝の印が至る所に見られました。

昔は、引き潮の時に海岸から歩いて渡っていたそうですが、この海岸は干満の差が激しく、引いた潮がものすごい勢いで戻って来る時に波に飲まれ亡くなった巡礼者も少なくないそう。今は、陸から道路が敷かれ昔の面影はありません。楽なのは楽ですが、残念な事に、作られたのが橋ではないので、天然の潮の流れを止めてしまい、回りの自然環境に影響を与えてしまっているそうです。


島に入ると、ツアーとは言え、入り口で帰りの集合時間を告げられ、自由行動に。その辺はヨーロッパですね。中は城下町のように、土産物店、レストラン、カフェが狭い路地に立ち並んでいます。日本人観光客が多いせいでしょうか、日本語の表記も。残念だったのは、ハローキティ•グッズが売られていた事。別にモンサンミシェルで売られなくても。。。(ご当地キティちゃんではありませんでした。)

さて、急な坂道を昇ると聖堂の入り口に辿り着きます。入場料は7ユーロ。かなり高台になり、遠くまで見渡せます。私達が行った時は引き潮だったので、学校の遠足組や観光客が砂浜を歩いているのが見えました。

上を見上げると光が不思議な感じ。入ってすぐの礼拝堂の部分で、頭の上から足先まできーんと突き抜くけるようなエナジーを感じました。なんかすっきりした感じ。まさに大天使ミカエルですね。ともかく、聖堂の中全体も、光の入り方が変で、建物のせいというより土地の気がすごいのでしょう。建物の中で一晩過ごしてみたいと思ってしまいました。

黒いマリア象。やっぱり光が不思議な入り方をしてます。この時は曇っていました。
お約束のオーブも出現。修道士さん達のようです。
一緒に行った友人は、エナジーに異常に敏感な人で、聖堂の中でハイになって大声で歌を歌いだし、歯止めが利かなくなってしまったらしく、最後の方では、「あー!駄目!グランディングが出来ていない!何か食べるもの頂戴!」と、私が持って来たおやつのカシューナッツをばくばく食べていました。ナッツはやっぱりグランディングには良いようです。最後にお土産物屋さんがあり、そこを出た所で、やっと「目に見える形」で(笑)、大天使ミカエルと対面しました。

建物の中を歩いていて、気がついたのは、一般に公開されていない部屋がいっぱいあると言う事。ずっと「秘密、秘密」とう言葉が頭の中で聞こえていました。ベネディクト派は密教的な色合いの濃い宗派だったらしいので、まだ明かされていない部分が多い場所なのではないかと思いました。

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