2012年5月31日木曜日

洞察力


この所、シンクロで来るメッセージで多いのが「洞察力」。それが真実かどうか、見極める力と言えばいいのだろうか。内なる智慧と繋がり、判断する力とも言える。


これだけ情報伝達網が発達した社会に生きていると、相反するような情報が入って来たりするし、学校の授業などでも色んな事を学ぶ(というか教え込まれる?)。そのまま鵜呑みにしやすいのだが、情報に踊らされる前に、ちょっと待てよとチェックした方がいい場合が多いような気がする。大宇宙の法則というようなものを理解し始めると、あれ?これは、ちょっと違うんじゃないかなとか、自分には合わないんじゃないかなと感じる時である。ここまで来ると感覚の問題になるので、左脳で判断するより、右脳で判断した方が良い。また、この能力はクレア•コグニサンス(明瞭に知る事)と繋がっているように思える。

基本的に不安を煽ったりするような恐れに基づいた情報というのは、創造主と関係なく人間が勝手に作ったルールである場合が多い。

私の場合、この洞察力がにぶる時はだいたい、グランディングが出来ていない時。体調の悪い時、忙しくて他の事に気を取られている時、怒ったりしている時、思考や思い込み中心で判断してしまっている時、などである。自分の中がクリアな状態になると、上と下を繋ぐパイプが開き、すっと情報がダウンロードされる感覚がある。その時中心となるのは、やっぱりハートである。この感覚をつかむまで、結構失敗を繰り返して、自分の感覚を信じる事の大切さを学んだ。

2年前、こちらで取ったサイキック•ディベロプメントという直感力を磨くコースの中の誘導瞑想で、潜在意識と繋がり、自分の可能性と次元の扉を開く「鍵」を探しなさいと先生に言われて出て来たのが、上の絵にあるような鍵だった。真ん中に緑色の石が埋め込まれていて、その回りを古代文字のようなシンボルが彫られたメダル。これを、扉の丸い窪みに入れ、ダイアルのように回転させると、扉が開くという仕組みだった。(金庫の鍵のような感じ?)普通の鍵のイメージが出て来なかった所が私らしい(笑)。アーカイックなイメージなので気に入っている。その時は気がつかなかったが、緑色はハート•チャクラの色でもある。

今、自分の中で、この鍵を使って扉を一つ一つ開けて行っている感覚がある。基本的に、私達は全て知っているのに、忘れてしまっているだけなのだ。だから、思い出すことで繋がりが出来、忘れていた力を取り戻す事が出来るのではないかと思う。

こんな事をブログで書いたという事は、きっと広い地球の中で、同じように感じている人達がいるに違いない。

2012年5月27日日曜日

ユーロビジョン•ソング•コンテスト2012



土曜日の夜、ユーロビジョン•ソング•コンテストが放映された。1956年に始まったこのコンテスト、その後、東欧諸国、イスラエル、トルコなどが続々と登場し、現在は43カ国が参加している。予選で26カ国まで振り落とされ、前年の優勝者の国が開催国となる。という事で、今年はアゼルバイジャンの首都バクーで開催された。


毎年毎年観ていた時期もあったが、ここ数年、英語で歌う国が多くなって、どこの国の音楽を聞いても似たり寄ったりでつまらなくなってしまい、あまり真剣に観ていなかった。が、今年は違う。ロシア代表のおばあちゃんグループを観たくて、観てしまった。最高年齢は76歳のバブシュカ(おばちゃん)軍団。アナスタシアの本(The Ringing Cedars of Russiaシリーズ-日本ではまだ翻訳本が出版されていません。)を読んでから、ロシアで起きている変化に注目しているせいもある。

プロの振り付け師が付いて、綺麗な衣装を着て真剣に歌っている若者達より、ロシアのおばあちゃん達の方が、楽しそうでかわいかった!老人パワーを見せつけられた気がする。残念ながら優勝出来なかったが、本番での彼女達のパフォーマンスはこちら。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=BgUstrmJzyc


今回、私はギリシャ系キプロス人の友人宅でこの中継を観ていた。同郷の友人も来ていて「スペインは今回優勝したくないだろう。優勝したって経済がガタガタで、来年開催するお金がないからな。」「ギリシャが優勝したら、またお金を借りまくって意地でも来年開催するぞ。それで借金は踏み倒す。あはは。」なんて発言も出ていた。(汗)


優勝国は参加国の視聴者による電話投票で決まるのだが、同じヨーロッパと言えども、地域毎にまとまっていて(言語や宗派がベースになっているようだが)、例えば、ギリシャとキプロスはお互いに最高得点をあげあう。また、ギリシャはアルバニア系の住民が多いので、隣国アルバニアにも高い点をあげる。東欧諸国も共通の文化と歴史を持つという意識が強いようで、連帯して点を出し合う傾向にある。

ちなみ2012年の優勝国は、スウェーデン。私の目にはケイト•ブッシュ的な演出のように映ったが、才能と振り付けとオリジナリティはケイト•ブッシュの足下にも及ばず。なんでスウェーデンが優勝しちゃったの?という事で、来年、またユーロビジョンを観るかどうかは疑問である。

2012年5月25日金曜日

夏日のロンドン



遂に5月らしい天気になった!今日の最高気温は26度。イギリスにもこんな日があるのだ。と、ロンドナー達も思っているに違いない。異常なくらい寒かった4月—5月中旬の天気と打って変わっての夏日。すると急に公園は活気づく。ガーデニングする人も増える。これで近くに泳げる海があれば最高なのだが。


イギリスは緯度が高いので、6月の夏至の日には(ロンドンでは)10時過ぎまで明るい。今日も、日の入りは20時58分である。紫外線も強く、芝生で寝転んでいると日差しがじりじりする感覚がある。


天気が良ければ、イギリスで過ごす夏も捨てたもんじゃないと思うのだけど、こんな天気の良い日があと何日あるのか。また天気が悪くなる前に、夏服を出して思いっきり楽しもう。


2012年5月21日月曜日

テムズ川の流れ

週末、ロンドン西部の友人宅を訪れた際、テムズの河畔を散歩した。テムズ川は、ロンドンの隅田川のようなもの。テムズなくしてロンドンなし。テムズが題材になった、小説、劇、歌、詩は数えきれない。
テムズは、南西部のグロースターシャー(州)に水源があり、345kmの長さでイングランドで一番長い川になる。イングランドを横断し北海に流れ込むテムズ。ロンドン西部でも満ち潮の時は、明らかに川が逆流しているのが解る。
ロンドン中心部のテムズ川は、両側に大きな建物がごちゃごちゃと建っていて、いかにも大都会の川という印象だが、ロンドン西部は住宅地が増えるせいか緑も多く、いかにもイギリスという、しっとりした風景に変わる。どこへ行っても必ずパブがある所がイギリス。
雁などの水鳥だけでなく、白鳥もいる。結構、人間慣れしていて、逃げない。
レガッタ(ボート)の練習も盛ん。毎年テムズ川で行われるオックスフォード大学対ケンブリッジ大学のレガッタ•レースは有名。(早慶戦のノリ?)写真に写ったのは、女性のチームのよう。
そして河畔に立つ個人宅も絵に描いた様にイギリス風。やっぱりイギリスと言えば庭に薔薇のあるお家。
日本にもある懐かしい藤の花。水彩画に出て来るような雰囲気。
塀の上から顔を出していたワンちゃん。カメラに向かってポーズしてくれました。
テムズもロンドン東部、エセックス州とケント州の河口の辺りだと、川幅が広くなりヨットや漁船などが浮かんでいて、川という雰囲気はなくなる。機会があったら、テムズがイギリス海峡に流れ込む辺りの町の様子を紹介したい。

2012年5月17日木曜日

モーリス•ダンス

先週末、ロンドン中心部にあるチェアリング•クロス駅の向かい側の広場で、モーリス•ダンスを目撃した。え?こんな所に、モーリス•ダンサーがいる!?


私がイギリスで働き始めた時、イギリス人の同僚に「イングランドらしい伝統芸能を見たいでしょ」と言って連れて行かれたのが、ロンドン近郊の田舎で行われたモーリス•ダンスだった。正確には、彼女はウェールズ人なのだが、彼女のイングランド人の旦那さんがモーリス•ダンサーで、定期的に各地で開催される集いに参加しているので見に来ないか、という事だった。


モーリス•ダンスは、イングランドのフォーク•ダンスと言われていて、起源は15世紀頃。一般大衆が始め、全国に浸透したそう。(モーリスという名前の起源については、いろいろな説があるようです。)ダンサーは、生演奏の音楽に合わせ棒や剣、ハンカチなどを持って、グループで踊る。男性同士だけでなく、女性同士、また男女混合の踊りもあり、踊り終わると近くのパブで楽しく一杯(いや、二杯、三杯?)、というのがパターン。当のイギリス人の間では、真剣に取り組む人達がいるかと思えば、「あんなださいダンス」という意見も出ている。伝統芸能に対する見方はどこの国でも一緒!?
(何故、キルトを履いた男性がいるのかは不明。)
地方毎にグループがあり、彼らが着ているチョッキの後ろには、通常その地方を代表するシンボルが描かれている。今まで見た中で、一番印象に残ったのは、チェシャー州から来たチーム。彼らのチョッキのシンボルは、不思議の国のアリスに出て来る、チェシャ猫だった。そう、あの、にやーっと笑った猫の顔である。その時、とってもイギリスだ!!と思った。ちなみにチェシャーはチーズの産地でも有名なのだが、日本人にはやっぱりチェシャ猫の方が有名なんですね。(笑)


2012年5月14日月曜日

PAUL大好き

ポール•マッカートニーでもポールと言うイギリス人の男性の話題でもありません。(笑)老舗のフランス系のお菓子屋さん兼カフェの事です。


イギリスに住んでいるのだから、イギリスのお菓子屋さんの話題をと思ったのですが、私の頭の中には、イギリスのお菓子はアメリカ並みに甘く、大味、素朴だけど味がイマイチという図式が成り立ってしまっていて、これっ!と強くお勧め出来る場所が思い浮かばず、やっぱり一番に好きなのは、フランス系のお店になってしまいました。




ポールはロンドンに29店舗ほどあり、駅の構内などにも入っています。写真のお店は、私のお気に入り、こじんまりした雰囲気のオールド•コンプトン•ストリート(Old Compton Street)にあるポール。(ちなみにこの通りはゲイのお店が多く、いつ行ってもゲイの人達がいっぱいいます。)イギリスと小麦粉が違うのでしょうか、バターが違うのでしょうか、何故あんなにフランスのお菓子はおいしいのでしょう(笑)。ちなみに、ポールはケーキや、パイ、パンだけでなく、サンドイッチ、日替わりのスープやシチューなどもメニューにあります。コーヒーも紅茶も当然おいしい!クリスマスから新年にかけては、伝統菓子の王様のガレットなども販売しています。(指輪の代わりに、ポールのロゴの入った小さな陶器の飾りが入っていました。)

写真はピスタチオ味のマカロンと紅茶。フランスに行く時間がなく、ロンドンでフランスの味を楽しみたいなら、是非どうぞ。   http://www.paul-uk.com/

2012年5月10日木曜日

ロンドンで会った素敵な人:リルー•マセさん

ハワイ島滞在記に時間をかけてしまい、普段の生活で起きた事が後回しになってしまった。今回のお話は、ロンドンで会った素敵な人。


フランスとアメリカ両国籍を持つリルー•マセさん。彼女は、ロンドンに住んでいた時、マーケティング•ディレクターの仕事を失い、奮起。本当に自分がしたい事はなんだろう、自分に合っている仕事はなんだろうと模索した結果、ウェブTVのレポーターの仕事に導かれた。彼女のリルー•マセーTVは、精神世界の話題だけでなく、健康問題、環境問題、動物愛護、恋愛、等の話題もカバーしており、今までのインタビュー数は850本を越え、1千300万回以上のビューが記録されている。彼女がインタビューした著名人は、ウェイン•ダイヤー、ニール•ドナルド•ウォルシュ、ジェームズ•レッドフィールド、ドランバロ•メルキゼデク、日本からは森田玄•菊池ゆみ夫妻、などなど。(もちろん、地道に世界に貢献している一般の人もインタビューしています)インタビューは英語、フランス語、スペイン語がメインで、日本語の字幕が付いているものが数本ある。

彼女は昨年、"Juicy Living Tour"と銘打って、北米大陸とハワイ諸島にいる、いろんな分野の人達をインタビューして来た。2012年のアセンションの話題なども取り入れており、マヤの長老の話やC•コールマン博士の説など興味深く拝見させていただいた。今年は、その一環としてヨーロッパ•ツアーを決行。先日、ロンドン中心部で視聴者との交流会があったので顔を出して来た。

会ってまず思った事は、背が高い!!180cmあるという。フランスでも大きい部類に入るのが悩みと言っていた。瞳のきれいな人で、話をしてみると、気さくで地に足の着いた、裏表のない性格だというのが解った。ウェブのインタビューで見るのと同じ、そのままの話し方(笑)。そして、インタビューした人の裏話になった時に、どんな有名人が相手でも、その人の話しを鵜呑みにしないで、冷静に分析している事が良く解った。自分の役割を解っているから出来る事なのだろう。明らかにレポーターとしての資質を持った人で、これから、増々活躍して、色んなJuicyな人をインタビューして貰いたい。

日本に行きたいと言っていたので、そのうちジューシー•リビング•ツアー、アジア編で日本を訪れるかも!?ちなみに彼女の最新のインタビューはこちら。(英語です)

2012年5月3日木曜日

ハワイ島に導かれて•••(6)島のパワー

ハワイ島を去る前、最後に二つ、べたな観光スポットに行った。と言っても、ハワイ島にある場所なのでかなりのパワー•スポットである。


一つ目はキラウエア火山。ところが、昨年から火山活動が活発になり、カルデラの環状道路の一部は依然閉鎖されている状態。(噴煙を吸うと危険らしい)コナからキラウエアまで90マイルほどなのだが、火山からの煙で空にはスモッグがかかっている日が多く、土砂降りの雨が降ったりして、うねうね道を運転するにはベストコンディションではない。しかし、どうも呼ばれているような気がして、意を決してハイウェイ11号を飛ばした。いざ、走ってみると快調。2時間半ちょっとでビジター•センターに到着。行ける所(ジャガーミュージアム)まで行って、ハワイ島を代表する女神ペレ様にご挨拶。カルデラ一面、真っ赤なオーラが見えました。まさにペレ様の性格を表しているよう。すごいグラウンディング•エナジーです。

帰り道、時間があったので、サウス•ポイントという、アメリカ合衆国最南端の場所にも立ち寄りました。11号から入る道は、舗装状態が良くなく、否応なくスローダウン。北のワイピオ渓谷に対し、南のサウス•ポイントと言われるくらいのパワー•スポットで、次元の扉(ポータル)があると言われています。ものすごい勢いで「気」が海に向かって流れ出していました。

途中休憩で米国最南端のパン屋さん(カフェ兼パン工場)にも立ち寄りました。ここはハワイ島のスーパーなどで売られている甘いパン(グアバ味、マンゴ味、タロイモ味)の製造元です。プランテーションで働いていたポルトガル人が持ち込んだ、マラサーダというドーナッツがおいしかったです。私は紫色のタロ芋味の物をいただきました。


そして、二つ目の観光スポットはマウナケア。これもうまく日程が合い、ハワイ島滞在の最後の夜にツアーで登る事が出来ました。4205mの山の空気は薄く、素敵な男性を見た訳でもないのに心臓がちょっとドキドキ。登っている途中で虹も見え、山頂から見たサンセットは、とても神秘的でした。夜になると満点の星空で、久しぶりに天の川も見ました。小さい頃、天文学者になりたくて一生懸命、天体望遠鏡で東京の空を見上げていた自分を思い出しました。


今回の旅で、ハワイ島がパワー•スポットと言われる所以がよく解りました。土地の気という点だけでなく、まず、何かしたいとか、こうなったらいいなと思うと、それが2、3日以内に実現してしまうこと。実現のスピードが早い。例えば、今回、サーフィンの予定はなかったのに、トライしてみたいなと思ったら、サーフィンの先生が登場。安くサーフィン•レッスンをしてくれて、初心者の私が波に乗ることまで出来たのです。(おまけにパドル•ボードのレッスンも付いて来たが)他にも、一人で観光している時、ここで自分の写真を撮りたいなと思うと、写真を撮ってくれる人が突然出現したり。あ、これ必要ないと思ったら、すぐ他に引き取る人が出て来たり。きっと、ネガティブな事を考えてしまうと、逆にそれもすぐ実現しちゃうのでしょうね。


ハワイ島最後の日に受けたエンジェル•リーディングでは、私の魂の故郷が確認出来ました。なんとなく解っていたけど、ずっと心の奥に閉まっておいた秘密•••。他にも解ってくれる人がいた事が嬉しかった。2012年効果かな。


ハワイ島で得た学びは大きかったです。

2012年5月1日火曜日

ハワイ島に導かれて•••(5)イルカと泳いだ日



念願のドルフィン•スイムをした。これは船でコナ沖を北上し、移動中のイルカの群れの所に行き、一緒に泳ぐというもの。イルカの群れを見つけ、移動中の彼らが泳いで来る地点に船を回す。船長の「準備はいいか?飛び込め〜っ」というかけ声の下、皆一斉に海に入る。最初に飛び込んだ地点は、海底が白浜でバハマの海のようだった。(ハワイの海底は珊瑚と岩が多い。)ハワイの海にいるイルカはスピナー•ドルフィン(ハシナガイルカ)で、バハマのイルカちゃん達よりスリム•ボディ。一匹、ぶつかると思うくらい、すごく近くまで泳いで来たイルカがいて、かけた背びれや、ダルマザメ(クッキーカッター•シャーク)に咬まれた傷跡まではっきり見えた。目があった!「私の事をチェックしに来た?」と瞬時に思った。


水の中にいると、姿は見えないのに、ピーピーと言うイルカの鳴き声が聞こえる。イルカは視覚の代わりにソナー(超音波)を使い、水中の物体に関する情報を得る。心臓にペース•メーカーを着けている人も、解ってしまうという。


コナの南、ケアラケクアの辺りだと、イルカは休みに来るので余り動き回らず、落ち着いてイルカと泳げるらしいが、コナの北にいるイルカは移動中なので、来ても、すーっと素通り。彼らが行ってしまうと、ボートに戻り、次のイルカの群れを探し移動。イルカの群れが見つかると、また海に入るという事の繰り返し。かなりの数のイルカに遭遇出来たと思う。イルカ達は、水の上でジャンプしたりして、自由な彼らが羨ましくなった。


そして今回は、皆の憧れのマンタも見れた。クリーニング•ステーション(マンタのお風呂場?)の所で待っていると、すーっと泳いでくる。3枚(そうマンタは「匹」ではなく「枚」です)ほど、マンタが優雅に泳いでいる所を見ました。

水深20m以上はあるだろう所で泳いでも全然平気だったのは、快挙。もっと深い所で泳ぎたいと思ったくらい。そして、おもしろい事にイルカに追いつこうと夢中になっていて、はっと気がついたら、手を体の脇につけモノ•フィンを着けているような格好で泳いでいた。(人魚のポーズ?)つまり、無意識のうちにイルカのように泳いだら、一番効率よく泳げると体が判断していたようだ。


残念だったのは、ドルフィン•スイムがかなり商業化されて来ていて、一度に7、8隻ものボートがイルカの群れを囲い込んでいる時があった。ボートによってはマナーが悪く、イルカにもスイマー達にも負担になってしまっていた。今後、事故が起きなければよいが。


後日、ケアラケクア、ツー•ステップの方から海に入り、イルカが来るのを待っていたが、その日の朝は登場してくれなかった。イルカと会えるか会えないかは、ある意味「ご縁」なのだと思った。